FF14。わが性春の…。
ファイナルファンタジー・ふぉーちぃーん。
頭が悪いような言い方。
いや、悪いのは、当時のゲームのほうだった…と思う。
TVドラマ化で、それなりの成功をおさめ、劇場版『光のお父さん』が公開された。
そのFF14。
原作者のマイディーさんは、闘病の末亡くなられ、すでに久しい。
そのFF14。
ゲーム製作スタッフが癌で闘病、のち復帰した。イベントでそのことに触れたが、旧FF14時代からのゲームプレイヤーであり、ある意味、ゲーム広報としては最大の功労者でもあったと思われるマイディーさんの死には触れなかった。
そんな、FF14。
(いや、言及はあったのかもしれないが、その割にはネットで記事を目にしない)
旧FF14では、リアル友人と、釣りをするだけで装備ぶっ壊れとか、テクスチャコピーまるだしマップを歩き回ったり。
新生では、PS3で、低解像度の世界を放浪したり。
PC版で、とりあえずバハムート邂逅を、阿鼻叫喚でクリアしたり。
蒼天篇で、イイ筋肉男のオルシュファン卿がボロ雑巾のように捨てられた様を目にし。
ハクスラ導入で失敗したゴリランド閉園で、引退した。
後味の悪いゲーム。
ゲームというものが、生活の余暇で、ほどほどに楽しむべきものならば。
かけた時間に正比例で、ゲーム内で「強くなれる」MMORPGというものは、社会人には……いや、学生にとっても、プレイしづらいものではある。
FF11。
物語が(いろいろと)奥深く、最初期の開発陣でも、その全容をぶっちゃけ把握しきれていなかったFF11であっても、装備をより強化していき、最高峰の強敵に挑むのは危険だった。
人生捨てますか? ゲームに引きこもりますか?
そんな選択を突き付けられたことを、大学時代の記憶で抱えている。
人生ほどほど。ゲームもほどほど。
「お肌、つやつや」、「これで勝つる」
ゲームで楽しむのは、リアルにあまり影響が出ない程度に…。
2015年頃の、フォーラム統制時期、ゴリランド閉園をきっかけに、まともなプレイは休止。
そのあとは、ごくごくたまに、万魔鯖で、貴腐人や超紳士たちの高尚なるチャット遊びを、ほどほどに楽しんでいた。
インスタ迷宮は、実に青姦のごときシチュエーションだったと……グランドマスターは仰っておいでだった。
まぁ、それも、偉大なる先人たちの、遊びの一つのカタチだったのだろう。
正直、ACTのようなツールを使って、パーティメンバーたちの火力を蔑み憚らぬ、往時の「正当」な遊び方よりも、よほど「正統」だったのではないかと。
ラグナロクオンラインの時代より、チャット遊びは、タイピング、文章練習としても優れたものではあったのだから。
先年、旧FF14から続くシナリオが、ひとまずの区切りを迎えたという。
ただの冒険者が、世界を滅ぼせる水準までに「最強化する」
どこのライトノベルかという、今どきの展開。
国王からの依頼や、神々の啓示を受けても、あくまでヒトの範疇でのプレイをやっていた、FF11。
正直、虚実皮膜の間ではないけれど、あまりに突拍子もない物語は、気持ちが萎えてしまう。
ゴブリン差別にまつわる、子供たちのクエストは、どこか現実を反映していて、しみじみと味わい深かった。
ゲームというのは、夢想に偏りすぎるのではなく、ひととき現を忘れながらも、それがしょせんは夢であることを心の片隅にとどめおく程度には、バランスよく調整されたものであってほしい。
そういった意味で、現段階での、「プロゲーマー」という職業は、不健全で不安定で忌むべきものだと思う。
FF14のゲーム性。
コンテンツ難易度を、大縄跳びでしか調整できないゲームで、まったく変わっていないことは伝え聞いてはいる。
ただ、旧世界から続いた物語の結末だけは、見ておきたい。