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台風19号、事前の心構えの不足。

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先日、NHKで、昨年の西日本豪雨で被害を受けた、愛媛宇和島市玉津の、いちミカン農家の復興取材・・・のようなものを放送していた。

あの水害は、九州・中国地方で大雨が降り続け、

「これまでにない災害が起こる可能性が・・・」

云々と、テレビで気象予測から報道されていたにもかかわらず、多くの人間が、

「まさか、ここでは起こるまいよ」

と、高を括っていたと思う。

 

 

 

私自身、水害が起こった当日早朝、雨の降る中、出勤しようと車を出したのだから。

ただ、自動車道から何から、道路脇斜面崩落の恐れアリと、通行止めが出ていたので、「ただごとじゃないな!」

と思い、会社欠勤の手続きを取るに至るも、なお、せいぜい踝くらいまでの出水であろうよと(子どもの頃は、自宅前道路は、踝程度までは、たびたび冠水していた。) 

 

それが、

 

 

2時間後には、こうなっていた。

自宅周囲、一階部分 のきなみ水没!

 

 

 ヤベイビー!?

川の水位と、自宅に浸水した水位がフラットに。おお、これが水平というものか。

2階に避難して、家人や、同じく2階部分に避難していた近所衆と、窓やベランダから声を掛け合うも、笑うしかなかった!

LINEで会社に画像送って、明日も休めるよう段取ったりとしながらも、ここまでの出水になるとは予想しなかったな~と思ったのを覚えている。

 

 

 

 

 

 

 

当時の記憶、というか、記録を振り返ると、わりと元気だった様子。

まぁ、あのときの水害では、人死にが、崩落した場所以外では、無きに等しかった。

宅のように、住宅地が、まるっと水没。そこから中心地に向かって、のきなみ床上浸水。浄水場も周囲の山の斜面が崩落して機能停止、からの、夏に半月程度の断水。

当時、死者が、ほぼほぼ出なかったのは、自衛隊の復旧支援活動はもちろん、それなりに自助、互助の努力のおかげもあったけれど、事前にある程度は、心構えができていたのもあっただろうと思う。

 

昔は、自宅周囲も、たびたび水が出ていたので、水害当日は、財布などのとりあえずの現金は二階へサッと上げていたし、排水溝から水があふれ始めたときには、万一あるを予想して、自動車を一台は、水をかぶらないポイントまで動かしておいたし。

経験があって、ある程度は活かせた。

 

台風19号

南洋から、豊後水道を駆け上がって来たら、洪水になるのは間違いないなと思ったもの。

事前に、首都圏直撃して、進路沿いに、また周囲でも、強風、大雨で、大きな被害が出るであろうことを、さすがに報道機関も口を酸っぱくしていたのに、記事のように、夜半に自動車で移動するというのは、自分を責める以外に無い。

帰宅するのが遅くなったのであれば、安全そうな場所で、車中泊でもすれば良かったのだ。台風の規模に対する心構えが出来ていなかったのだろうかと、思わずにいられない。

ご夫君。あんたに言われんでも、あの規模の台風下で、車で移動するのは、よほどの蛮勇だよと、思わずにいられない。